2児子育て中40代母のblog

はじめまして。女の子2人育児中の40代半ばの母です。 婚活から現在に至るまでの過程と、日々に起こった小さな出来事など、つらつらと書いております。よろしくお願いいたします。

2021年08月

父について④

父について③の続きです。

夫に、帰れなかった場合は車で娘たちのお迎えを
お願いしたので、電車で病院に向かいました。
最寄駅からタクシー。

病院に着き、父・母・姉と合流。
名前が呼ばれましたが、姉と私だけが先に呼ばれました。

中に入ると、40代かな?の若いギラギラした男の先生。

MRIの写真なども見せてもらい、以下の説明を受けました。

・左前頭葉の広範囲が脳腫瘍になっている。
・もやもやと全体に広がっているため、手術はできない
 (取り除けない)
・抗がん剤やその他治療も、たぶんしても多少余命が
 伸びるぐらいで、やっても意味がないと思う
・今は歩けるとのことだけれど、間違いなく近いうちに
 体が動かなくなってくる
・頭痛や痙攣もこの後出てくると思うので、それを抑える
 薬は処方可能

と、絶望的なことを言われました。

姉が、「余命はどれぐらいですか」ときいたところ、
早ければ2,3か月、長くても年単位ではないとのこと・・。

今、普通に歩いてしゃべってるのに


問題は、これを母と父に話すかどうか。
でも、連れてきちゃってるし、話さないわけにはいかない。

とりあえず母を先に呼び、病状を伝えました。
「ええっ!」と言ったまま、言葉が出ない母。

そして、父に話すか3人で迷いましたが、長時間
父が1人で待たされていて、たいしたことなかったよ~
と言っても信じないだろう、余命のことは伏せて、
治らないということだけ説明しよう、と言うことになり、
父も呼んで、説明しました。

父、意外と淡々と、「治らないんですか・・先生が
そう診断したなら仕方ないですね」と言いました

とりあえず、1週間ほど入院してもらうことにして、
その間に介護のことなど、がんばって調べないと。
忙しくなりそうです。





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父について③

父について②の続きです。
ここからは現在の話になります。

先月、姉から電話がありました。
姉によると、父は最近、曜日がわからなくなったり、
片付けができなくなっていて、おかしいなと思っていた。
うちの敷地に竹山があるのですが、その中で転んで
動けなくなった。母が気づいて、助けに行き、
動けないというのでかかりつけの病院へ連れて行った。

かかりつけの病院は、内科の先生1人でやっている
小さい病院なのですが、父の様子がどうもおかしいからと
大きい病院へ連絡してもらい、そちらで検査を受ける
ことになりました。これをA病院とします。

A病院で検査をしたところ、脳に何か影が映っている。
しかしMRIがないので、さらに大きいB病院に連絡し、
そちらでもっと細かい検査をすることになりました。

電話を受けたのはその時でした。

2日後に、お医者さんから病状について説明があるので、
申し訳ないけれど年休を取って、B病院まで来てほしい、
と言われました。

私の職場には介護休暇があるのですが、総務の方に調べて
もらったところ、要介護2以上の人を介護するのではないと、
介護休暇は使えないとのこと。
両親とも、介護認定の申請すらしていません。

急になんだかバタバタし始めたぞ、と不安に感じた日でした。


次回に続きます。




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父について②

父について、続きです。

いったん教員として働き始めたのに、「農業」の授業が
なくなってしまい、「理科」の教員免許を取るため、
毎日仕事の後、都内の大学に通い始めました。

編入試験ってなかったのかな?と不思議なのですが、
教員免許を取るために、父が苦手な英語や第2外国語の
授業も履修しなければならず、当時語学が得意だった母が、
その日授業でやるところを全部訳してノートに書いて
持たせてあげたのよ!と母が言っていました。
父に確認してないのでどこまで本当か不明です(笑)。
その大学は留年が多くて有名な大学なのですが、
父はなんとか4年で卒業したそうです。
そして中学の理科、数学、高校の数学、物理の免許を
取得しました。

公に中学校の理科の先生になり、その後は教育委員会に
行ったりもしましたが、校長先生になって、定年退職
しました。

当時はあれている中学校もあり、夜中にバイクに乗った
中学生が補導されて、親にも連絡がつかなくて、
教頭だった父が代わりに警察に呼び出されて(朝の3時)、
なんてことが続くような時期もありました。

当時の話を聞いていて、すごいなあと思うのは、
「あのバイクに乗って捕まった生徒は、それ以外に
自分をアピールする場がない、かわいそうな子たちなんだ」
と言っていたことです。私は、ただうるさくて迷惑で
不良生徒、というイメージしかなかったので、
そういう見方もあるのか、と目から鱗でした。

学校にパソコンを導入しよう!と、けっこう全国に
先駆けて中学校にパソコンを入れて、理科の教材を
作ったりもしていて、先進的でもありました。

他の先生からきいた噂だと、父が教えたクラスの生徒は
みんな理科が好きになり、それがきっかけで理科の
先生になったり、研究者になった人もたくさんいるとの
ことでした。

最後は小学校の校長先生で定年になり、中学校とは違い、
楽しく穏やかに過ごせたそうです。中学にいた時は
痩せてしまったのですが、定年退職する時はけっこう
太ってました(笑)。


仕事一筋だったので、定年退職したらすぐにボケて
しまうんじゃないか・・・と危惧していましたが、
前回載せた写真の通り、切り絵や水墨画にはまっていました。
家の前にまあまあな広さの畑があるので、野菜もたくさん
育てていましたし、毎朝犬の散歩にも行っていて、
また退職後も学校関係のちょっとした仕事を引き受けて
やっていたりもして、健康的に過ごしていると思って
いました・・・。





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